「誰にでも好かれたい」
そう思って生きていた時期が、
私にもありました。
学生時代までは、その戦略は驚くほど上手くいっていました。
相手の好みに合わせ、
趣味を合わせ、
意見を合わせる。
相手が望む「理想の誰か」を演じることで、
私は友人にも恵まれ、
異性にもそれなりにモテました(いや、ホントに😅)。
でも、
その成功体験こそが、
長い後悔の始まりだったのかもしれません。
鏡の中に、誰もいない
社会に出て気づいたのは、
相手の色に染まるのが上手い人間は、
「都合のいい人」にはなれても、
「信頼される人」にはなれない
という現実でした。
自分のルールも、
揺るぎない意見も持たず、
ただ相手の顔色を伺ってフワフワと漂っている私。
そんな私に、誰も心からの関心を持ってはくれませんでした。
相手の好みに合わせれば合わせるほど、
私という人間の輪郭は透けていき、
鏡を見ても「そこには誰もいない」ような虚しさが募っていきました。
「自分を無くして好かれる」ことは、
実は「自分を殺して生きる」ことと同じだったのです。
「自分ルール」という、新しいカード
50代になり、私はようやくその重いカードを捨てることに決めました。
「人に好かれるために自分を消す」
というカードを破り捨て、
代わりに
「自分のルールに従って生きる」
という、
新しくて、
少し無愛想なカードを切ることにしたのです。
相手が右と言っても、
私が左だと思えば
「私は左です」と静かに言う。
「それ、面白いですね」
と嘘をつくのをやめ、
心から面白いと思うことだけに無心になる。
そうやって「相手の色」に染まるのをやめた瞬間、驚くほど視界が開けました。
自分の色は、白紙の中にあった
自分の色が見えてこなかったのは、
私が無色透明だったからではありません。
他人の色を上塗りしすぎて、
本当の色が隠れていただけだったのです。
今の私は、かつてのように誰からも好かれる「人気者」ではありません。
でも、自分のルールという物差しを持って生きる今のほうが、
ずっと足が地についている感覚があります。
手持ちのカードは相変わらず弱いままでしょう。
でも、
その弱いカードを「自分の意志」でどう組み合わせるか。
その工夫の中にこそ、
人生の本当の面白さが宿っている。
50代。
ようやく私は、
私の人生の「主役」として、
自分の色でキャンバスを埋め始めました。